自衛隊から看板屋へ。移住した茨城県・石岡市で理想の村づくりを

廃材を使って世界にふたつとない作品を作る看板屋たけちゃん。妻はキーボードの弾き語り、絵本の読み唄いライブなどを行なうミュージシャン・りりぃさん。様々な回り道をしたり悩んだりしながら、本当に自分に合った現在の仕事にたどり着いたといいます。

「ワクワクする気持ちを大事に、やりたいことを続けていたら、道は開けた」。今そう語るふたりの暮らしをのぞいてきました。

流木や廃材、スクラップに新しい命を吹き込む

たけちゃんこと、福島毅さんの職業は看板屋。看板の材料とするのは、海岸で拾ってくる流木や廃材など。いわばスクラップです。

「このゴミがどうやったら生き返るだろうと考えるのが楽しいんです。打ち捨てられていた廃墟に新しい命を吹き込んで、周りの人に喜んでもらいたい」。

例えば、こんな看板を作っています。

こちらは建設会社からのオーダー。鉄で組み立てた文字の表面に廃材のビスや金物を隙間なく取り付けていきます。

 

「金属が錆びたらもっといい味が出ますよ」。

即興演奏のようにいろいろな素材を組み合わせ、世界にふたつとないものをつくるのです。

たけちゃんは看板の他に家具制作もすれば、空間施工も手掛けています。

創意あふれる作品を見ていると、きっと子どもの頃からモノづくりが好きだったのではないかと思いますが、たけちゃんからは意外な返事。

「それが全然。習字や図工の授業では、人の失敗作をもらって提出していました(笑)。全然楽しくなかった」。楽しくなかったのはモノづくりじゃなくて、型にはめられることだったのです。そのことに気がつくまで、たけちゃんは長い長い回り道をすることになります。

15年の自衛隊生活にピリオド。そして旅へ

たけちゃんは高校を卒業後、陸上自衛隊に入隊。志望動機は地元を離れ、違う世界が見たかったから。

プライベートではサーフィンやスキーなどの遊びも楽しんでいましたが、その一方で時間を切り売りするような人生に疑問も感じていたそうです。そうした中、封じ込めていた本当の自分が暴れだしたかのように、うつ病になってしまいました。

そして15年の自衛隊生活にピリオドを打ち、旅に出ることに。

修行するように日本全国を回りました。旅先でいろいろな人と触れ合い、仕事を手伝ったりするうちに、「やっぱり自分はモノづくりが好きなんだ」と気づいたといいます。

2年間の旅から戻り、とにかく何かしようという思いで流木のオブジェをつくり始めました。そんなとき、後に妻となるうたうたい・りりぃさんに出会います。出会ったのはクラフト市のワークショップ。

当時、りりぃさんは福祉施設の職員として働いていたけれど、自分の好きな音楽を突き詰めたいという思いを抑えきれず悩んでいました。だから、たけちゃんのこれまでの話を聞いて、とても興味を持ったそうです。

その後東日本大震災の支援活動を機にふたりの距離は縮まり、2015年に結婚。

「大人はできない言い訳ばかりをするけれど、心は正直。やりたいことに向かってとにかく行動すれば、なんとかなるんですよ」とたけちゃん。バイトをしながら音楽活動をしていたりりぃさんにも「バイトする時間があるなら、音楽で稼ぎなよ」とミュージシャンへの背中を押しました。

またまったくの独学で始めたたけちゃんの独創的な作品にも、注文が相次ぐようになったそうです。今では誰もが知っている東京のショップからもオファーが来ているとか。

石岡市八郷地区に移住し、「村づくり」の夢に一歩近づく

ふたりは2年前に茨城県の鉾田市から石岡市の八郷地区に移住。今住んでいる借家は水田地帯から少し上がった丘の上にあり、目の前には畑や田園風景が広がり、遠くには里山も見えます。

ネットで見つけたこの場所の、やさしい風景がふたりとも気に入ったそう。

ふたりが借りている家は昭和の薫りが漂うこちらの民家。元ブドウ農家だった家の離れで、ほとんど改修せずに暮らしています。

少しだけ家の中をご案内しましょう。

手の込んだ欄間が造り付けられた玄関。左手のガラス扉を開けるとリビングです。リビング内にもたけちゃんの作品が。

たけちゃんが廃材を利用して制作したダイニングテーブル。天板は欠き込みがあるラフな木材なので、鉄パイプを加工した脚と組み合わせ、絶妙な表情になりました。右奥に見えるオルガンは、昔の小学校にあったような趣。古道具店で購入したそうです。

昔の民家にはほぼある2間続きの和室もどーんと。

さて、たけちゃんには自衛隊時代から温めていた夢がありました。その夢がこの土地に来てに一歩近づいたといいます。

「茨城は人がいいですね。特に八郷は創作活動をしている人や有機農家とか、コアな部分を持っている人が大勢います。人間的に自立した人が集まっている感じがするんです」。

たけちゃんの夢、それは村づくりです。集う人がそれぞれの強みや可能性を発揮していける、「生きるためのキャンプ場」をつくりたいと。

元ライスセンターだった建物は、現在はたけちゃんの看板づくりの工房。ここを拠点に「村」の構想を膨らませているのです。

今後、モノづくりができる場所やイベントスペース、畑などをこの場所の周囲に整えていく予定とか。

「世の中にはどこに向かっていいか分からない人が多い。自分も経験してきたように、個性を伸ばせば人生が楽しくなるし、そういう人が増えれば子どもたちの目標になると思います」。

自分を縛る必要なんて、これっぽっちもない。たけちゃんの快進撃は、八郷に来てから加速しました。

りりぃさんはキーボードの弾き語りを中心に絵本の読み唄いライブや、子ども向けライブなど幅広く活動。たくさんの寄り道をしながら、「村づくり」というふたりの夢は大きく動き出しています。

※この記事の情報は「住まいの設計2019年10月号」取材時のものです。
撮影/山田耕司

Source: 日刊住まい

重厚なレンガ倉庫に偶然出会い、古道具店ごと群馬へ移住

東京の福生で「古道具・熊川」を営んでいた西原大希さん・ジーインさん夫妻。建物オーナーの都合で店舗移転を余儀なくされていました。そして新たに古道具店を開いたのは群馬県の下仁田町。

重厚なそのレンガづくりの倉庫との出会いは、偶然で運命的なものでした。ひと目で気に入った西原さん夫妻は、その日のうちに建物の持ち主に交渉。短時間で大きな決断をした大希さんはこう話します。「縁を感じたらその気持ちを大事にしたい」と。

福生で営んでいた古道具店を下仁田へ移転

大希さん・ジーインさんは、長女が生まれたのち、福生に移り住み古道具の店を開きます。こうした決断に至ったのは、ジーインさんとの出会いがあったからだそうです。

大希さんは東京・世田谷生まれの横浜育ち、若い頃は街での遊びが中心。いっぽうジーインさんは山や川に囲まれた自然の中で育ちました。彼女と出会ったことで、大希さんの中に田舎暮らしという選択肢が芽生えたといいます。

古い道具に魅力を感じていた二人が福生で「古道具・熊川」を開業したのは、2012年のこと。古い鉄工所を改修した建物でした。古道具店の経営は順調でしたが、建物オーナーの都合で移転を余儀なくされることに。

そんな折、ジーインさんが群馬の南牧村の空き家バンクのことを知り、家族でドライブがてら見学へ。その帰りに偶然見つけたのが下仁田駅前のレンガ倉庫でした。

「重厚なたたずまいに圧倒されました」と大希さん。その日のうちに近所で教えてもらった管理人の家を訪ねて交渉。帰り道にはOKが出たそうです。驚くべきスピードで下仁田への移住が決まりました。

古道具を美しく際立たせる、大正15年建築のレンガ倉庫

その日のうちに決めたというレンガ倉庫。どのような建物なのでしょうか。

レンガ倉庫は世界文化遺産「富岡製糸場」のそばで、地元産業を支えた歴史ある建物。大正15年に建築されたもので、「蚕の繭」の保管に使われていたそうです。

出会った時の建物は、簡単には触らせない、そんな雰囲気を漂わせていたとか。

「福生の店は廃墟だった鉄工所を改装したけれど、ここは店舗としてどういう路線でいくかも決めかねていて。カッコいい言い方をすると、最初は建物と会話するというか、自分をここに馴染ませることから始めました」。

しっかりした木組みと漆喰が美しい壁。「前の店はジャンクな雰囲気だったので、そこに置いても良さが伝わらない商品もあったのです。ここはレンガ、漆喰、木で構成されて、本当に扱いたいものが映える空間になりました」。

「持ち主の手入れが行き届いていて、建ってから100年近いのに手を入れなければならないところは少なかった。内装の床を張り替えたり、一部の壁を塗っただけで十分に使えるようになりました」(大希さん)

驚いたのが2階に注ぐ光。光の織りなす陰影が、古道具をより美しく際立たせます。

普段は照明をつけずに、この光の加減を楽しみます。昭和初期の道具が並ぶ店内を見渡せば、どこを切り取っても、古いもののよさを深く理解し、それをいかに見せるかを熟知したキュレーションがなされているのが分かります。

コークスを使っていた時代のストーブ台にフジツボを載せたり、ガラスの写真板を入れる現像用瓶をフラワーベースに見立てたり。

古道具を単に並べるのではなく、配置、異素材との組み合わせなどで生み出される新しい価値。それは多分アートに近い感覚であり、アートを飾る空間ともいえます。

ところで気になる改修ですが、なんと大希さんが一人で行ったそうです。

「毎回家族で福生と往復すると交通費や宿泊費もバカにならない。そこで住むところが決まるまで、テントと寝袋持参で泊まり込み、作業を進めました」。

古道具、建物、土地…。出会いは一期一会

レンガ倉庫は2017年の秋に見つけ改修、翌年の4月には店をオープンさせました。

家族で移住し、当初は町営住宅で暮らしていましたが、1年後の2019年、ついに家を購入します。店のある敷地内の平屋住宅です。

店は週末だけのオープンで、いつもは作業着でほこりにまみれた道具をきれいにする作業に追われているそいう大希さん。

「遅くまで作業した日は店で軽くビールを引っ掛けるんです。すると車には乗れないから自宅まで歩くことになる。心地よい夜風に吹かれ、美しい星空を眺めながらてくてく歩く」。そんな都心では味えなかった感覚を楽しんでいます。

台湾出身のジーインさんは、タイで大希さんと出会って東京へ。しかし気がつけば、山や川の風景が台湾に似ているというこの地に暮らすことに。

「将来的にはカフェを併設したゲストハウスもオープンするつもり。若い人たちを呼んで、できれば移住してもらって。娘が成長したとき、この場所が安心して帰ってこられる場所になればいい」と大希さん。

店の前にある木造倉庫では、近所のこんにゃく店主が不定期営業のレコード屋を始めたとか。西原さん家族の移住とふたりの活動が人に町にも刺激を与えているようです。

「以前から面白い物件に出会ったら、すぐにアクションを起こすのが習慣で。福生のときの店も、今にも解体されそうな雰囲気だったので、すぐ持ち主を探して交渉したんです」(大希さん)。思えば古物商という仕事も、古いものとの出会い方やタイミングが大切。

ものとの出会いは一期一会。それは建物や土地も同じなのかもしれません。

※情報は「住まいの設計2019年10月号」取材時のものです。
古道具・熊川
撮影/松井 進

Source: 日刊住まい

テラスハウスをリノベーション。地名「螢谷」が移住のきっかけに

岡山さん家族

琵琶湖から流れる瀬田川のほとり。岡山さん家族が京都からこの地に引っ越してまもなく8年が経とうとしています。移住のきっかけは、「将来の子育てを見据えて」。夫妻の移住先の決め方は少しユニークで、地名の響きに惹かれて選んだのだといいます。
そして引っ越してきてから生まれた長男も現在7歳に。すっかりこの地に溶け込んだ岡山さん家族は、現在どのような暮らしを送っているのでしょうか。

将来の子育てを見据えて、移住を決意

岡山さん家族

建築家である岡山森さん、輝子さん夫妻は、結婚後、京都で町家を改造した家に、自宅と建築設計事務所を兼用して暮らしていました。移住を考え始めたのは、現在7歳の葉くんが生まれる前から。「将来子どもができたとき、京都の街中だと子育てをするイメージが湧かなかったんです」と輝子さん。

散歩

2010年より京都と大阪の間で移住先を探し始めたそうですが、なかなかいい物件が見つからなかったといいます。そんなとき、子育て環境として「緑が多い」こと、仕事で全国各地に行くので「交通の便がいい」ことを条件にグーグルマップを見ていたら、美しい響きの地名が目に止まりました。

それは滋賀県にある「螢谷(ほたるだに)」。地名は土地を表すので、いい所なのではないかとさっそく下見へ行くことに。

食事

J Rや京阪の駅も近く利便性もいいし、近くには瀬田川が流れ、自然も多い。ふたりの実家へのアクセスがよいことも決め手になりました。
下見の際にすれ違った地元のおじさんから、「越してくるの? ここは住みやすいよ」と声をかけられたのも後押しになったといいます。

地名で選んだ場所は思った以上に住みやすく快適

見つけた住まいは、琵琶湖から流れる瀬田川のほとりにあるテラスハウス。

学校や保育園も徒歩圏内。地域の祭りも活発で、自転車で走れば琵琶湖まですぐ。川遊びや釣りもでき、花火大会も見られます。「田舎だと車がないと生活できないと思われますが、ここは自転車で十分」と輝子さん。地名に惹かれた場所は、想像以上に住みやすかったのです。

外観

とはいえ住みやすさとは、環境や利便性だけではありません。人と人との付き合いも重要です。引っ越してすぐに東日本大震災が起きたことで防災意識が高まり、コミュニティ見直しの流れがありました。近所の人と関わることが増え、自然と馴染んでいったそうです。

長男

葉くんは、地元の子としてたくましく育っています。両親には知り合いもいない土地で、葉くんが人間関係を広げてきた部分もあります。「彼に友達ができることで、親同士もつながりますから」(森さん)。

家を買い上げ、暮らしながらリフォームを開始

6年ほど賃貸で暮らしていましたが、このテラスハウスを購入するきっかけになったのは、葉くんの小学校入学。入学までに家を建てたいと考えるようになり、場所探しから始めましたが、あらためてこの土地を気に入っていたこと気づいたといいます。

予算も含め「ここを買うのが現実的」と大家さんに交渉すると、即OKが出ました。テラスハウスは1980年に誕生したもの。夫妻は暮らしながらリフォームを進めています。

当時はモダンな建物だったのでしょう。「プロから見ても狭い中にいろんな要素を取り入れ、上手に寸法取りしている」と森さん。

キッチン

キッチンはまだ当時のまま。「シンプルなのが好きなので大きく変える予定ですが、手を入れても昭和感は漂うはず。それもいいかなと」(輝子さん)

キッチン2

家族で少しずつ進めているリフォーム。葉くんも手伝って床板を塗装します。

塗装

下の写真は、最初に手掛けた眺めのいい南向きの部屋。「壁のボードをはがしたらコンクリートの雰囲気がよく、リフォーム感も残しておこうかなと思いました」(森さん)

リフォーム

ここにふたりの仕事部屋を移し、本棚で仕切って半分はミーティングルームにする予定。現在の事務所スペースは、子ども部屋に改装予定です。住みながら、仕事をしながら進めるリフォームは、慌ただしくも楽しい日々のようです。

日々の暮らしを丁寧に。それができる場所

実際、生活自体はどのように変わったのか聞いてみると…。輝子さんはここで暮らし始めて朝型になったといいます。

野菜

家事・育児、仕事をこなしながら、生き物を飼い、野菜を育てる心にゆとりのある暮らし。滋賀に越してから毎年仕込んでいるのは、玄米味噌と麦味噌です。

味噌

大豆と麹1対1が基本とのことですが、麹を2倍入れる倍麹が輝子さんのこだわり。甘みがあってまろやかな味わいになるそうですよ。

卵焼き

親子でキッチンに立つことも。葉くんは料理に興味を持ち始め、この日は卵焼きを担当しました。でき上がったのがこちら。自家製味噌の豚汁と、自家製梅干しのおにぎり、葉くんの焼いた卵焼きでヘルシーランチ。

食事

家族3人並んで、外を眺めながら食事をします。さて、岡山家に家族として増えたのが動物たち。動物が大好きな葉くんのために犬を筆頭に、カブトムシ、オオクワガタ、ドンコ(ハゼの一種)などを飼っています。

愛犬

春にはメダカも仲間入りし、ニホンイシガメにはスイスイと名付けてかわいがっています。夫妻は動物を飼った経験はなかったそうですが、「昆虫の世話は私のほうが夢中で。孵化の瞬間が楽しみなんです」と輝子さん。クワガタ

自然とともに、動物たちとともに日々の暮らしを丁寧に送る岡山さん家族。「螢谷」という美しい名の土地に惹かれての移住は、家族にとって大正解だったようです。

コーヒータイム

最後に夫妻はこう話してくれました。「興味を持ったら、迷っているなら移住してみてはいかがでしょう。住んでみないと分からないことは、山ほどあります。嫌だったら、次を探すくらいの軽やかさも必要です」。

※ご家族の年齢等の情報は「住まいの設計2019年6月号」取材時のものです。

設計/a・un 建築設計事務所
撮影/山田耕司

Source: 日刊住まい

移住先で出会って結婚。自分らしい暮らしを箱根で見つける

家族

黒澤孝一さんと美香子さんの箱根への移住のきっかけは、ふたりとも仕事。それぞれ別の土地からやってきて、箱根で出会い結婚しました。「『移住するぞ』とか『田舎に住みたい』という強い想いがあったわけではないのですが、住んでみたら周りがとても親切で、結婚して子どもが生まれ、家を建ててしまいました」(孝一さん)。

近くには芦ノ湖があり、富士山も眺められる自然に恵まれた環境です。そんな土地で、移住者と地元とをつなぐコミュニティを運営するなど、充実した生活を送る黒澤さん夫妻です。

夫は千葉、妻は山口から箱根へ移住

東京のイベント制作会社に勤めていた黒澤孝一さんは、知り合いのシェフに誘われて箱根のオーベルジュ(宿泊施設を備えたレストラン)に転職。千葉県出身の黒澤さんにとって、箱根は縁もゆかりもない土地でした。

「制作会社に勤めていたときは、クライアントの要望とか予算とか、様々な制約の中でイベントを企画するのですが、オーベルジュでは自分で好きなようにやっていいよ、と誘われて。実際にお客さん向けのイベントを企画したりしましたが、自由度が高くて楽しかったです」。

そんな孝一さんですが、仕事は充実していたけれど、友達がいなかったといいます。

芦ノ湖
そんなときに花屋で働いていた美香子さんと知り合います。

遊覧船

美香子さんは大学卒業後、ワーキングホリデー制度を利用して、3年間ニュージーランドに滞在。現地の花屋で働いた経験から、帰国後、箱根のホテルなどの生け込みや装花を手掛ける花屋に勤めていました。

夫妻が中心となってコミュニティを立ち上げる

「彼女も山口県から箱根に来たばかりで友達がいなかった。探してみたら、同じような境遇の人がけっこういることが分かり、『じゃあ、みんなで集まって、箱根の休日を充実させよう』ということでハコネラインを立ち上げました」(孝一さん)。

「ハコネライン」とは、“箱根ライフをカラフルに”をコンセプトに、イベントの運営などを行うコミュニティです。孝一さんが移住してから4年後の2014年に立ち上げました。

もともとイベント会社で働いていたので、こうした企画・運営は得意。現在も黒澤さん夫妻が中心となり、フリーマーケットや交流イベントなどを開催しています。

イベント

「ハコネラインは緩いつながりで、常連の参加者が10人くらい。地元の人と移住者が半々で、『イベントやるよ』と言うと、『その日なら行けるよ』っていう人が集まってくる。そこからまたネットワークが広がっていく感じです」(美香子さん)

英会話教室併設のマイホームが完成!

夫妻が家づくりを考え始めたのは、美香子さんの英会話教室がきっかけ。

英会話教室

孝一さんと結婚し、出産を機に花屋の仕事を辞めた美香子さんは、得意の英語を生かして英会話教室を始めました。当時はアパート暮らしだったため、月5万円で教室を借りていましたが、2年後には生徒が50人に。

「それなら家を建てて、きちんと教室ができる部屋をつくったほうがいい」(孝一さん)と、土地探しを開始。

中古物件を買ってリノベーションも検討したそうですが、エリア優先で探したので空き家も見つからず、土地を買って家を建てることにしたのです。

「箱根といっても山の中の不便な場所ではなく、アクセスの便利なエリアに絞りました。小学校にも歩いていけるし、英会話教室の子どもたちが自転車で通えることもポイントです」。

玄関

家づくりはタマホームに依頼。「シンプルなデザインと低コストが魅力でした。都会と比べたら土地が安いうえに、行政のサポートも受けられたので、家づくりに踏み切ることができました」。

親子

行政のサポートとは?
「40歳未満の世帯が住宅を取得するときは上限100万円の補助金が出るので、これを利用。住宅ローンも、町が指定した金融機関から借り入れれば、金利分を補助してくれる制度を利用させてもらいました」。

1階は広々としたLDKが中心。「LDKの天井高は2500㎜。タマホームの標準仕様らしくて、開放的で気に入っています」(孝一さん)。

リビングダイニング

キッチン東側上部の窓は、孝一さんが要望したもの。やわらかな光が差し込みます。黄色の収納扉も空間を明るくしてくれますね。

ドア

リビングの扉は、レトロな雰囲気が漂うデザインとネイビーカラーがアクセント。2階には教室スペースも確保しました。撮影時はまだ準備中で、ここにホワイトボードやデスクなどが設置されます。

教室

美香子さんが仕事と子育てを両立できる環境が整いました。

教室看板

「当初は親をはじめ、知り合いみんなから『なぜ箱根?』と猛反対されましたが、周りは親切な人ばかりで、お母さんがいっぱいいるみたい(笑)」と美香子さん。

日向ぼっこ
将来のことを考えて宅地建物取引士の資格を取ったという孝一さんは、新たに地元の不動産会社に転職したそうです。2人めの子どもも生まれる予定で、黒澤家の移住生活は新たなステージを迎えています。

※情報は「住まいの設計2019年6月号」取材時のものです。

撮影/山田耕司

Source: 日刊住まい